第43回 中道の話


 

シャカ族の王子として生まれたお釈迦様は、若い頃に贅沢の限りを尽くして、怠け放題に暮らしていました。

 

また、修行僧になってからは、苦行に苦行を重ね、命を落としてしまいそうなほどに厳しい修行で、自らを追い込みました。

 

しかし、これらの行動が、悟りに繋がることはございませんでした。

 

そんなお釈迦様が、菩提樹の下に座り、お悟りになった後に、導き出した教えの一つに「中道」というものがあります。

 

中道(ちゅうどう)とは「どちらにも偏らない」ということです。

 

怠けもせず、厳しすぎもせず、偏らない。

 

右にも左にも偏らない。

 

あっちにもこっちにも偏らない。

 

自分にも他人にも偏らない。

 

ちょうど良いところを進みなさい。

 

これが中道の教えになります。

 

◇◇◇

 

戦国時代の剣の達人に塚原卜伝(つかはら ぼくでん)という人がいました。

 

あるとき、卜伝に弟子入りを志願してきた男が、卜伝にこう尋ねました。

 

「わたしは一生懸命に修行します。それで、何年くらいで免許皆伝になれますか?」

 

「そうだな、おまえはなかなか筋がいいから、五年でなれるじゃろう」

 

男は再び卜伝に問いました。

 

「では、寝食を忘れて修行に打ち込めば、何年で免許皆伝になりますか?」

 

「それだと十年はかかるなあ…」

 

おかしい……と、男は思い、もう一度卜伝に尋ねました。

 

「では、死に物狂いで修行すると、何年で免許皆伝になりますか?」

 

「おいおい、それでは一生かかっても免許皆伝はできないぞ

 

◇◇

 

血眼になり、死に物狂いで歯を食いしばって修行をしても、逆に遠回りになる。

 

それどころか身体を壊して辿り着きさえしない可能性まである。

 

卜伝のこの考え方は、仏教の「中道」の精神そのものです。

 

休むときは休み、やる時はやるのです。

 

 

山を登るときに

 

山頂に立つことだけを目的に山登りすれば

 

必ず息が切れる

 

それで山頂に立っても、ちっとも楽しくない

 

わたしたちはゆったりと周りの景色を楽しみながら

 

山を登るべきである

 

そうした方がむしろ早く山頂に着く

 

それが「中道」というものである

 

 

仏教の「中道」は「頑張るな」ということではありません。

 

頑張りすぎずに頑張るということです。

 

死に物狂いで頑張っても途中で倒れては意味がありません。

 

がんばりすぎず、怠けすぎず、楽しみながら、日々を進んでいきましょう。

 

 

 

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参考文献

仏教とっておきの話366 冬の巻

新潮文庫 (1999/10/1)

ひろさちや(著)

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