第2回 塩と器の話


 

ある日、お釈迦さまは弟子たちに問題を出しました。

 

「世の中には悪行の報いで地獄に落ちる者がいます。しかし、同じくらいの悪行を積んだのに、地獄に落ちない者もいます。この違いはどうして生じるのでしょう?」

 

弟子の誰もが答えられませんでしたので、お釈迦さまはヒントを出しました。

 

「この手の平にいっぱいの塩があります。水の入った小さなお茶碗に、この塩を入れてみたらどうなりますか?」

 

弟子が答えます。

 

「お茶碗の水は塩水になります。とても塩辛い水になり、飲めなくなります」

 

「その通り。ではこの手の平の塩を、そこのガンジス河に投げ込んでみましょう。ガンジス河の水は塩辛くなりますか?」

 

「いいえ、そんな事はありません。ガンジス河の水はほとんど変わらないと思います」

 

「これがヒントです。これをヒントに先ほどの問題を考えてみてください」

 

 

しばらくして弟子の一人が言いました。

 

「分かりました! 地獄に落ちる者と落ちない者の違い! それは、その人の器の大きさによるのだと思います。善行を多く積んだ者の器は大きく、ガンジス河のように、少しくらいの悪行では水は塩辛くなりません。逆に善行の少ない者の器は小さく、茶碗の水と同じで、手の平いっぱいの塩でその水は飲めなくなるのです」

 

お釈迦さまはこの答えに頷きました。

 

 

悪行の報いで地獄に落ちるか、落ちないか、その決め手はその人の器の大きさによる。

 

器の大きさを決めるのは、その人がどれだけ善行を積んできたか。

 

このお話でお釈迦さまが本当に教えたいことは、悪行を絶対にするな、と言うことではなく、善行をたくさん行いなさい、と言うことです。

 

人間が生きていく上で、どうしても、悪いコト、後ろめたいコトをしてしまう場合があります。つい感情に流されて、怒ってしまう、嘘をついてしまう、傷つけてしまう、約束を破ってしまう。

 

人間ならどうしても失敗はあります。

 

そういう時は、その悪行の、2倍、3倍の善行を行いましょう。

 

器を大きくしましょう。

 

そもそも悪行をそんなに行わなければOKなわけで、善行も無理せず、自分の負担にならない分だけやりましょう

 

正しい行いを心がけましょう。 

 

ゆっくりと「器」を大きくしていきましょう。

 

 

 

 

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参考文献

仏教とっておきの話366 春の巻

新潮文庫 (1995/4/1)

ひろさちや(著)

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