第45回 色即是空の話


 

「色即是空」とは、どういう意味ですか?

 

禅宗の和尚をしているとたまにこの質問をされます。本などを読んでも意味不明だそうで、なんとか簡単に分かりやすく説明できないかと、いつも思います。

 

「色即是空 空即是色」は般若心経の中に出てくる教えです。

 

色即是空(しきそくぜくう)

 

色はすなわち空である

 

空即是色(くうそくぜしき)

 

空はすなわち色である

 

同じようにも思える2つの言葉ですが、実はまったく逆の教えとなっています。

 

 

◇◆◇

 

 

まずは質問された「色即是空」の解説です。

 

図1を見て下さい。

 

図1

 

タコ、イカ、サカナがいます。

 

これが「色(しき)」です。

 

色とは物体のことです。

 

私達が認識している物体を仏教では色といいます。

 

そして、この図1をどう見るか? というのが「空(くう)」になります。

 

タコを見るか、イカを見るか、魚を見るか、ワカメを見るか、背景を見るか、

 

その時の自分の気分、質問のされ方などで、一つの絵でもたくさんの見方が存在するそれが空の働きになります。

 

一言でいうと、空とは選択のことです。


自分が生まれてから現在までに培った経験や教養、常識など、それらの記憶の中から「選択し」物事を判断する。この選択の部分が空です。


空は思考の流れなので、決まった姿はなく、常に流動して働き続けています。


タコを見る? イカを見る? タコの種類は? 名前は? 食べれる? 調理法は? 入手法は? 価格は? 食べ行く?

 

意識的にも無意識的にも、ものすごい速さで連続して、膨大に、色に対して働いている空によって、私達の思考は成立しているのです。

 

そして、空の働きに「これでなくてはダメ」という決まりはありません。自分の中のこだわりを捨てるだけで、自分の思い次第で、空は「無限の可能性」を持つことができるのです。

 

図1にしても、タコではなく宇宙人と見たり、魚ではなくラジコンと見たり、絵ではなくインクのシミと見たり、全部食べ物と見たり、

 

空の方向性によって、本来あるはずであろう色の意味を捻じ曲げることが出来るのです。

 

これは絵に限った話ではありません。

 

私達に降りかかる不幸とか幸福とか、そういう事物もまた色となります。そして起こった色(事物)に対して、どの選択を選ぶかも、また空の働きなのです。

 

色は空の力で大きく変えられます。

 

悲しいことがあったからと必ず「悲しい」という感情を空(選択)する必要はありません。前向きの空(選択)をしたって良いのです。

 

「悲しいから悲しむ」に縛られない。

「ムカつくから怒る」に縛られない。

 

色即是空。

 

色はすなわち空である。

 

色を決めるのは空であり、空は自分次第。

 

自由自在です!

 

自分にベストな空(選択)をして、心の健康を保ちましょう。

 

これが「色即是空」の教えです。

 

 

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◇◆◇

 

 

色即是空の解説はこれで終わりです。

 

次に、

 

空即是色

くうそくぜしき

 

の解説です。

 

空即是色の解説は、仏教の専門用語を多く使う必要があり、説明が複雑でややこしくなっています。

 

これは色即是空よりも空即是色の方が仏教の教えとして高いステージ(真理に近い)にあるためです。


色と空の深い説明にもなっていますので、興味のある方はお読みください。

 

 

◇◇◇

 

 

空即是色を理解するには、まず「色」を正確に理解しなくてはなりません。

 

色即是空の解説ではわりとザックリとした色の把握で済むのですが、空即是色の解説には正しい理解が必要となります。

 

図2

 

ほとんどの般若心経解説本に書いてある色の概念は図2-①を指していますが、それは間違いで、色即是空の色とは図2-②のことです。※正確には図3-①

 

色(物体)とは、自分の思考によって創られたものなのです。


図2-①でリンゴが確かに目の前にあるように見えますが、実際には「リンゴ」は存在しません。頭(思考)の中だけの存在なのです。


人間が物事を判断しカテゴライズするとき、五蘊(色受想行識)という思考の流れが発生します。

 

図3

 

色→受→想→行→識、


この流れによって(私達が)物体(と認識するもの・思考)は創られます。


そして、図3にある通り、色受想行識の色とは、対象物(図2-①)のことではなく、視界に映ったビジョンのことです。


図2-①を見て「奥行き」や「立体物」「リンゴである」と判断する思考は、受・想・行・識であり、色の時点では視界に映った平面的な二次元のビジョンでしかありません。

 

これは、色声香味触法の「声(音)」や「香り」で考えた方が分かりやすいかも知れません。

 

図4

 

「音」は耳の奥の鼓膜に音の振動が触れた瞬間、自分の中で音として感じ取れます。音を発した存在はもちろん、鼓膜に触れていない振動も「音」ではありません。

 

「香り」は、鼻の奥の臭いを判断する細胞に触れた瞬間、香りとして成立します。どれだけ周囲に臭気が漂っていようと、それが鼻の細胞に触れて、こちらが「香り」と認知しなければ「香」ではないのです。

 

このように、色も眼球の中の光を捉える何らかの器官に光が触れた瞬間、視界として映り込んだ像こそが色なのです。対象物どころか反射した光すら色ではなく、目の器官に触れてようやく色になります。

 

視界に入ってない後ろ側とか厚みとか奥行きとか立体感とか価値は全て、色→受を経て、想・行・識の作り出した想像(妄想)となります。

 

また「色受想行識」の五蘊には、一つづつに空の力が働いています。色は色差、受は認知、想は検索、といった感じにです。


「色(色差)」の「空」は理解がやや難しいため、「色即是空 空即是色」に出てくる「色」は「五蘊(色受想行識 図2-②)のこと」と、まとめて考えてしまった方が簡単で分かりやすいと思います。


五蘊は思考として限りなく同時に行われているため、それで問題はないと思います。


※このページの解説でも、分りやすさを優先して「【色受想行識】即是空」の体で説明させていただいております。


 

◇◇◇

 

 

空即是色。

 

空はすなわち色である。

 

さて、色の解説を読んでいて、察しの良い方はこう思ったかもしれません。では図2-①は何になるのだ? と。

 

リンゴという物体が自分の頭の中で作られたもの(図2-②)なら、実際に目の前にある、自分にリンゴと認識させる存在(図2-①)は何なのかと。

 

色即是空の解説では、私達は自分自身で自由に感情を選択できると説明しました。タコを宇宙人と思おうと、悲しみを喜びと思おうと、怒りを楽しいと思おうと、自由自在だと。

 

しかし、実際はそうでもありません。

 

悲しいものは悲しいし。

 

辛いものは辛い。

 

タコはタコなんです。

 

色というのは「因果」なのです。

 

因果をくらますことは誰にも出来ません。

 

図2-①は「因」といいます。

 

因とは原因のことです。

 

リンゴをリンゴと私達に認識させる要因。それが集まっているのが図2-①なのです。

 

そして「因」と「自分(空)」が「縁」によって繋がれて出来るもの、それが「色」です。

 

色=因果=因縁空(五大)


自由と思われる空も因縁からは逃げられません。

 

誤魔化すことは出来ても、完全な解脱は不可能なのです。

 

因とは四大とも呼ばれます。

地水火風の四大に、空を加えて五大です。

 

地水火風空の五大が存在するからこそ、人間は「認識」をすることができるのです。五大はとても偉大な存在です。

 

たとえ空をどうにかしたとしても、他の四大までどうこうできると思うのは烏滸がましいのです。

 

悲しみは悲しみ。怒りは怒り。どれだけ空をこねくり回しても、因縁から完全に離れることはできません。

 

それを教えてくれているのが、空即是色なのです。

 

空即是色。

 

空はすなわち色である。

 

自由自在と思われる空でさえ、因を内包する色には抗えない。

 

その事実を諦め、受け入れることができれば、空即是色も救いの言葉となります。

 

悲しい時は悲しいを受け入れて。

ムカつくときはムカつくを受け入れて。

 

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、です。

 

下手に感情で抵抗しても、苦しみは大きくなるだけです。

 

事実をまっすぐに受け入れることによって、苦しみを減らす。

 

これが「空即是色」の教えです。

 

 

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◇◆◇

 

 

色即是空は「色は空によって変えられる頑張れ!」と説き、空即是色は「空でも色は変えられない受け入れろ!」と説く。

 

真逆の教えではありますが、どちらも正しく、両者とも「みんなの苦しみを少しでも取り除いてあげたい!」という、慈悲の気持ちが伝わってきます。

 

色即是空 空即是色。

 

2つの教え。

 

お好きな方を選びましょう。

 

 

 

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