第10回 暗闇の話


 

昔、お坊さんが4人、夜の田舎道を歩いていました。

 

老師と呼ばれる偉いお坊さまと、その弟子が3人。

 

4人は夜の田舎道を、提灯の灯り一つで歩いていました。

 

突然、フッと風が吹き、提灯の灯りが消えてしまいます。

 

夜の田舎道、街灯などありませんでしたので、4人は1メートル先も見えないような、真っ暗な暗闇に包まれてしまいました。

 

すると老師がこう言いました。

 

お前たちはこの闇に何を見るか?

 

この何も見えない真っ暗闇にお前たちは何を見るのか? 老師はそう、3人の弟子たちに尋ねたのです。

 

『ああ、老師がまた難しい問題(禅問答)を出していらっしゃる…これはしっかり考えねば! 』と、3人は一生懸命、自分なりの答えを考えます。

 

まず一番目の弟子が答えたのは、

 

「老師、私はこの暗闇の先に、大きく輝く翼を広げて飛びたとうとする、大怪鳥が見えます!

 

「なるほど!まだまだじゃ」

 

次に2番目の弟子が答えました、

 

「老師、私はこの暗闇の先に、鉄で出来た大蛇が横たわり、今にも襲ってこようとしているのが見えます!

 

「なるほど!まだまだじゃ

 

最後に3番目の弟子に、老師が尋ねました。

 

お前はこの暗闇に何を見るか?

 

3番目の弟子が答えたのは、

 

「老師、私は足元を見ます!

 

 ◇

 

この話が何を表しているのかと言うと、この「暗闇」とは、私たちの「未来」を表しているのです。

 

一寸先は闇と言いますが、先の見えない未来、これを暗闇に例えているのです。

 

普段生活していて、ある時、突然、フッと未来にとらわれてしまう瞬間がある。この先の見えない未来、暗闇が現れた時、お前たちは何を見るか?と、老師は弟子たちに尋ねたのです。

 

1番目と2番目の弟子は、暗闇の先、未来に、化け物を見てしまいます。未来に対する妄想。先の見えない不安、苦しみ、困難が待ち受けているんじゃないだろうかという怖れ、それらの考えが2人に怪鳥や鉄の大蛇など、化け物を見せてしまったのです。

 

しかし3番目の弟子が答えたのは『足元を見る』でした。

 

暗闇に包まれたのは仕方ない。

 

見えないものは見えない。

 

しかし、まずは自分の足元を確認する

 

暗闇の中、ヘタに動き回ると転んでしまうかもしれない。まずは自分が今、確かにこの大地に立っていると確認する。未来は見えないが、確かに自分を支えてくれているもの達がいると確認する。家族であったり、仲間であったり、友達や、自分の経験、職場、お寺、そういうものに支えられ、自分は今、確かにここに立っていると確認する。

 

先の見えない暗闇に包まれても、化け物を見る必要はないのです。

 

まずは立ち止まり、自分と言うものを確認しましょう。

 

自分を支えてくれているものを確認しましょう。

 

 

暗闇の先に 化け物を見そうになったら 看脚下(きゃっかをみよ)」

 

 

 

※関連記事>>『法話まとめ

≫法話まとめページ

 

※関連記事>>『臨済宗とは?

≫臨済宗の解説ページ

 

※関連記事>>『仏教とは?

≫仏教の解説ページ

 

※関連法話>>『妄想の話

≫妄想することなかれ