第8回 妄想の話


 

禅の言葉に「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉があります。

 

妄想(もうぞう)することなかれ」という意味です。

 

一般的な「妄想(もうそう)」といえば、自分の中で作られる間違った想像のことを指します。被害妄想や誇大妄想など、自分勝手な間違った思い込みを総じて妄想と言います。

 

仏教では『もうそう』ではなく『もうぞう』と読み、一般的な「妄想(もうそう)」、という意味だけでなく、

 

未来に対する「不安や苦しみ、怖れなどのマイナスの思考」、「夢や理想、願望などのプラスの思考」も含め、

 

これら「未来の解らないことをあれこれ考えること」を全て「妄想(もうぞう)」と呼びます。

 

「未来に大してあれこれ想像するのは止めなさい。願望を持つのは止めなさい」と、莫妄想とはそういう意味なのです。

 

 

未来は誰にも分かりません。

 

皆さん勉強をして、良い学校にいって、大きな会社に入りたいと思うでしょう。しかし、それで確実に幸せになるとは限りません。思いの外、仕事がきつく、鬱になってしまうかも知れません。

 

交通事故に遭うかもしれないと、びくびくして生活します。それで実際に事故に遭ってしまいます。しかし、その後、病院で人生を変えるような素敵な出会いがあるかも知れません。

 

「宝くじに当たって不幸になった」とは、よく聞く話です。

 

『人間万事塞翁が馬』という言葉もあります。

 

自分の未来に何が起こるか分かる人間はいません。しかも、起こったことの結果で不幸になるか幸福になるかは、とてもあやふやなものです。

 

良いことが起こった→でも実は悪いことの始まりだった→そう思っていたらそうでもなかった→そうでもなかった→そうでもなかった→

 

こんな思考の始まり、妄想に振り回されるな!というのが、莫妄想なのです。

 

しかし、

 

「どうせ未来は分からないし、諦めて、努力なんてしなくて良いよね」と、言っているわけでは、決してありません。

 

畜生道に落ちますよ。

 

勉強するのは良いんです。努力するのは良いんです。しかし、過度な見返りを求めない。「これをやれば幸せになれるんだ」とか、「これだけやれば願いはかなうんだ」とか、そういう妄想にはとらわれるなと莫妄想は言っているのです。

 

先の見えない未来の結果にとらわれず、「今」やるべきことをやりましょう。

 

勉強する時は、「今」、自分を高めるために必要な勉強をやっていると、学力を高めていると、先を考えず今を一生懸命やりましょう

 

スポーツする時も、「今」、この瞬間、自分に必要な練習をしっかりやってやるんだと、技術を高めるために頑張っているんだと、先を考えず今を一生懸命やりましょう

 

休む時も、「今」、自分は全力で休息しているんだと、先を考えず今を一生懸命にやりましょう

 

先を見すぎず、階段を一歩一歩上るように、目の前の事をひとつひとつ、「今」をやり抜きましょう。

 

ベストを尽くしましょう。

 

人生は何が起こるか、誰にも分かりません。

 

しかし、先の未来で「自分が後悔するか、しないか」は、今の自分にもだいたい分かります。

 

皆さんには未来で後悔しない生き方を、瞬間瞬間を大切に、今を一生懸命に生きていただければと思います。

 

 

 

※関連記事>>『法話まとめ

≫法話まとめページ

 

※関連記事>>『臨済宗とは?

≫臨済宗の解説ページ

 

※関連記事>>『仏教とは?

≫仏教の解説ページ

 

※関連法話>>『秀吉の話

≫秀吉が太閤になるまでの心構え

 

※関連法話>>『夢の話

≫過去は夢 未来は幻

 

※関連法話>>『落ち葉の話

≫いま一枚拾う

 

※関連法話>>『吾道一以貫之

≫一とは?