第9回 お経の話①


 

毎朝、般若心経を読んでいるという檀家さんがいまして、ある日、こういう質問をされました。

 

和尚さんはお経を読んでいるとき、何を考えながら読まれているのですか?

 

答えは、

 

『とくに何も考えてない…』です。

 

 

例えば、楽しい曲を歌うときは、楽しい気分が伝わるように、楽しい気持ちを込めて歌います。

 

悲しい曲を歌うときは、悲しい気分が伝わるように、悲しい気持ちを込めて歌います。

 

言葉を他人に伝えるときは、伝えたい気持ちを強く込めることによって、自分の伝えたい気持ちが相手に伝わりやすくなります。

 

陽気にノリノリで歌えばそれは相手に伝わるし、悲しみを増やそうと重々しく歌えばそれも伝わります。

 

では、読経の際はどのような気持ちを込めてお経を読めば良いのでしょうか?

 

 

私は「無我」ではないかと思います。

 

 

諸法無我。

 

無我で読む。

 

ただ、自分を忘れ、一生懸命にお経を読む

 

お経の一文字一文字を、大切に、丁寧に読まさせていただく。

 

これが大事なのではないかと思います。

 

 

昔、ある老師にお婆さんが尋ねました。

 

「老師さま、私は毎日、南無阿弥陀仏とお念仏をお唱えさせていただいていますが、死んでお浄土へ行くことは出来るのでしょうか?」

 

老師は聞き返します、

 

「お前さんはそのお念仏を唱えるときに、心に何か考えながら唱えているのかね?

 

お婆さんは答えます、

 

「いいえ、私は何も考えず、自分を忘れて、ただただお念仏をお唱えさせていただいております

 

それを聞いて老師は言いました、

 

「それで良いのだ! 何も考えず自分を忘れてお念仏を唱えているとき、お前さんはすでにお浄土に行っているのだ

 

 

「自分を忘れ無心にお経を読んでいるとき、苦しみから離れ、そこはもう浄土である」と、老師は言ったのです。

 

自分もない、何もない、苦もない、それこそが浄土であると。

 

 

確かに、お経なり坐禅なり、掃除でも、一生懸命に集中して行っている間は、妄想や迷いなど、苦しみは出て来ないのかも知れません。

 

極楽です。

 

皆さまもお経を読む際は、何も考えず、自分を忘れる気持ちで、一心に無心で、しかし、一文字一文字を丁寧に、大切に、読んでいただければと思います。

 

 

 

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